かえるべきところ




今日ブログにあげようと思った詩は
一年前の今日書いたものと全く同じものでした
けれど この一致にも意味があると思え 少し違った角度から書いてみました

かえるべきである ともおもわれる
八木重吉 詩「おもい」

大切だと信じ守ってきたことやものやルール

それを手放した時 実は自分自身を縛っていたちっぽけなものだった…

と知ることがあります

しかしながら それらを守ろうと努力した時間があったからこそ

得られた自由がどれほど価値があり

生き方を明確にしていく過程であったか ということが理解できます

私が今 筆を持ち文字にしているすべて とも思えます

筆字そのものをどう見せたい とか見てほしい という

昔 持っていたような気負いや狙いが 今 ほぼ無いことは

書道に長く携わってきた者として 

あまりほめられた事でもないのかもしれませんが

私にとってはようやく見えてきた…というか私なりの感得の地です


中津川で 身体に不自由ありながら 己に厳しく画家として多くの人々に影響を与え

また愛された安江静二画伯の言葉が胸を貫きます

「謙虚であることが画家としての一番大切なことである

具象とは外題ではない(真実)画家の心が感受したもの、表現である

孤獨こそ作画の本源である

外に求めるのではなく内に探求すべきである

第三者を意識してはならない

ひたすら自問の作画を描くべきだ

達者な表面描写では真価ある作品ではない」

安江静二のことば より


届かぬ境地なれど 忘れたくない安江静二画伯のことばです


毎日毎日生徒さん方と書き続ける「いろはうた」

どんなことも 只々積み重ねるともれなくいただけるギフト

共に受け取ってまいりましょう


長文お目通しいただき ありがとうございます